都市と自然誌抜粋(トピック)No_444_201303_3
「都市と自然」誌2013年3月号の内容を一部ご紹介します。
Tomorrow 伝統野菜は時代を語る
文/森田 龍彦
私がオーナーシェフを務める旬菜桜花には大阪の各地からいろいろな食材が生産者の方から直接届きます、と書くとびっくりする方もおられるでしょうか。
現在の大阪、特に市内は近代化が進んで農地を見ることがほとんどありません。大阪がまだ浪速という名で呼ばれていた頃には商い町というだけでなく、実に個性的な野菜を栽培することが出来る農業先進都市でもあったのです。当時、物流の中心であった浪速にも物資とともに多くの人と文化が持ち込まれ、また浪速の文化が各地に広まっていきました。たとえば信州の野沢菜は天王寺蕪、京都の九条葱は難波葱と当時の浪速の名産品だったものを持ち帰り、その土地で独自の成長を遂げたものがいくつかあります。現在なにわの伝統野菜として認定されている野菜は十数種類あります。ちなみに伝統野菜として認定されるのに必要な項目が下記になります。
① 概ね100年前から大阪府内で栽培されてきた野菜
② 苗、種子等の来歴が明らかで、大阪独自の品目、品種であり、栽培に供する苗、種子等の確保が可能な野菜
③ 府内で生産されている野菜。
これまでの文章を読んで頂き、伝統野菜を一度食べてみたいと思って下さったとしても、残念ながらごく限られたお店でしか購入することは出来ません。(大阪の黒門市場の中には現在でも数軒取り扱っている八百屋さんがあります)
理由はいろいろとあるのですが、一番大きな理由としては生産量がとても僅かだからです。では、なぜ浪速の時代に名産品だった伝統野菜たちが栽培されなくなったのか??それは第二次世界大戦のために農地自体が被害にあって消失したこと、戦後の食糧難を乗り切るためにより収量の高い品種の野菜に切り替わっていったこと、病気などにも弱く高い技術と多くの手間が必要とされたこと、形などが不揃いのために流通に乗らないようになったこと、都市化による農地の住宅化が大きな理由に挙げられます。
私は以前になにわの伝統野菜を応援するNPOの理事として活動していた際に大阪府下の各地の農家さんを訪ねました。戦争によって寸断された文化の爪あとはとても大きく、かなりのご高齢の方でないと伝統野菜を見たことがないという残念な現実がありました。また、いくら生産してもなかなか市場での価格が安定しないという悩みもありました。その一方で、浪速の名産品を現代に復活させようと頑張る農家さんもおられ、行政もなにわの伝統野菜の認定とそのPRに取り組み始めて、徐々にではありますが関心を持って頂けるようになってきたのはとても嬉しいことだと思います。
なにわの伝統野菜は大阪の近代化という時代の流れに翻弄されながら、現代に復活しようとしています。この復活はただ昔に作られていた野菜が食べられるというだけでなく、当時の大阪の文化や生活の息吹を感じることが出来る「時代の語り部」だと私は考えています。
私の大好きな言葉に温故知新という言葉がありますが、伝統野菜をふれるたびに時代の積み重ねを噛みしめています。是非、何かの機会に伝統野菜に出会ったときに、味わって頂ければと思います。
(もりた たつひこ 旬菜桜花(しゅんさいおうか) 店主)