第8期・自然環境市民大学修了式・記念講演 今本博健氏: いまこそ抜本的転換を ―これからの河川行政― (4) |
■ 大戸川ダムをめぐる攻防 |
<揺れる河川管理者:大戸川ダムの方針> 大戸川ダムは昭和28(1953)年の水害を契機として計画されたものであるが、昭和46(1971)年の工事実施基本計画改訂時には、 @ 治水 A 流水の正常な機能の維持 B 利水 C 発電 の4つを目的とする多目的ダムとされた。 しかし、その後状況が変わり、まず、水需要が予測を下回り、「利水」 が撤退するようになった。 さらに、水没する発電施設の代替とされた発電目的も、発電量が少ないとして目的からはずされた。 この二つの目的が無くなったため、余分となった水の使い道として、平成15(2003)年に委員会に示された整備計画基礎案では、 @ 下流の洪水調節 A 桂川の洪水調節 (日吉ダムの利水容量振替) B 琵琶湖の急激な水位低下の軽減 へと目的が変更された。(図の拡大) Aの桂川の利水容量の振り替えというのは、日吉ダムの治水容量を上げるため利水容量の一部を治水容量に振り変える、振り替えた利水容量を補うために水系の異なる大戸川ダムを使う、という、 つじつま合わせのものである。 もう一つもってきたのが、「琵琶湖の急激な水位低下を軽減する」 という目的で、これが流域委員会を非常に刺激した。 桂川の利水は桂川の中で解決すべき問題である。また、琵琶湖については、冬季に高くしていた水位を出水期になると洗堰で急激に下げるが、水位の調節をしているのは自分たち (河川管理者) なのに、それを補うためにダムが必要というのはとうてい認められない、ということで、委員会は徹底的に目的変更の矛盾を追及した。 その結果、平成17(2005)年の 「淀川水系5ダムの方針」 では、「治水専用ダムとしては経済的に不利なため、当面実施しない」 とされ、これで一安心と思われた。 ところが、平成19(2007)年の整備計画原案では、一転して 「流水型ダムとして整備する」 と変更した。理由も 「桂川の掘削により淀川の流量が増えるため」 とされている。 桂川の掘削は以前から計画されていたものであり、よほど理由に窮したのであろう。当然、委員会は反発した。しかし、委員会を納得させることなく、平成20(2008)年に整備計画案とした。 この時、下流の知事が反対したため、河川管理者は 「二枚舌」 を使った。整備計画に位置付けながら、説明では 「当面実施しない」 としたのである。 <大戸川ダムの必要性> 繰り返しになるが、河川管理者と委員会側の大戸ダムの必要性についての主張を整理しておく。 河川管理者は、当初、瀬田川洗堰全閉を回避するためにダムが必要と説明していたが、平成19年には 「桂川の河床掘削による淀川の流量増に対応するため」、と目的を変更した。仮に大戸川ダムが無かった場合、洪水時の水位はHWL(計画高水位)を19cm越えると試算され、ダムを建設することにより、HWL以下に水位を下げることができるというのである。 しかし、淀川基準点(枚方大橋)ではHWLから堤防天端まで約3mの余裕がある。HWLを1cmたりとも越えてはいけないと主張する河川局の主張に対し、宮本委員長が壁に実物大の堤防を示したり、現地での状況を写真で示したりして、大戸川ダムの緊急性のなさを強調した結果、専門家以外の委員も納得し、結局、委員会は 「ダムを建設する緊急性はない」 として整備計画に位置づけることに反対したのである。 大戸川ダムがなぜ幻のように復活してきたのか、理由は全く分からない。 ある人から聞いた話では、河川局が絶対に作りたがっているダムが4つある。第1が、八つ場ダム、次が、皆が白紙に戻ったと思っている川辺川ダム、吉野川の可動堰、4つ目が大戸川ダムである。 今、河川局を支配しているグループが退かない限り、安心することは出来ない。 そこで、このような、水位がある基準を越える・越えない、大きい・小さいという議論をやっていてもダメではないか、ということで、わたしは 「非定量治水」 という考え方を持ってきた。 |
■ はじめにへ |